きもので手抜き生活

2023年末年始

今日からもう二月に入りました。「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と言われるように、年末年始のブログを書ききる前に一月は行ってしまいました。けれども、せっかく書き始めたブログなので、公開しようとようやく書き上げました。

2022の年末は、上の娘夫婦が子供二人を連れて帰省しました。大晦日の夕方からは、みんなで毎年私の実家に帰り紅白歌合戦を見ながら年越しをするのが恒例でした。

この年の10月に実家の母が他界したので、今回からはもうそれもなくなるかなと思っていましたが、妹がすき焼きや海鮮の準備をしてご馳走してくれるというので、母がいなくて寂しい思いもありますが、いつも通りの年越しを楽しみにしていました。

大晦日に娘一家を空港に迎えに行き、みんなで実家に行ってすき焼きに舌鼓を打ったのですが、年末から孫二人が体調を崩していたので、無理がないように除夜の鐘を実家で聞く前に家に帰って休息をとらせることにしました。

昔から、小さい子供は盆や正月に限って熱を出すとよく言われてきました。今回もその通りで、せっかく長期の冬休みをとって計画した沖縄旅行も、子ども二人が順に熱を出してしまったので、青い海辺で遊ぶことができなかったそうです。

冒頭に書いた通り、昨年母を亡くしたので初詣には行くことができません。ですが、昨年実家の箪笥の中から見つけ出したアンサンブルの着物をどうしても下の娘に着せたくて、家族でレストランに行くときに着せてやりました。

自分の地元では、昔から17歳が女性の厄年の一つとして、村の厄払いの行事に数回参加することのなっています。その中の一つとして、その歳の大晦日から元旦にかけて、年始に来る人たちへの地元の神社でおでんやぜんざいのふるまいをしたあと、その神社で厄払いをしてもらうのです。

神社でふるまいをしている間は法被を着ているのですが、夜が明けた後一旦家に戻って着替えます。みんな晴れ着を着て再び神社に戻り初詣をするのです。17歳というとまだ高校2年生なので、振袖を着る子は少なく、お洒落着やウールの着物などを着る風習でした。幼馴染で高校も一緒だったRちゃんの家は呉服屋で、Rちゃんのお母さんは私たちにちょうどいい素敵な反物を準備してくれたので、私の母も長女の私に奮発してその反物でアンサンブルを仕立ててくれたのでした。アンサンブルの着物は、白地の紬で所々に千代紙人形の絵柄がちりばめてある可愛らしいものです。

十代の娘が着るには、紬なんて素材は贅沢ですが、ウールよりも光沢があるうえに白い生地でとても気に入っていました。自分は着物アレンジなども好きなので、結構どんな着物でも着てしまいます。でも、これだけは可愛らしすぎて無理だなあと思っていたので、娘が嫌がらず着てくれて嬉しくなりました。きっと数十年前の母も同じ気持ちだったでしょう。

今年は、孫が3歳になるので、秋には七五三祝いに着物をきせてやりたいなあと、自分だけでなく身内まで着物沼に引きずり込みかけています。

今年も、着物やいろいろな趣味を広げていこうと新年の抱負を抱いた年始でした。

 

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