旅行

舞鶴引揚記念館と岸壁の母

一月前に亡くなった母は、歌を歌うのが大好きでした。認知症が進んできたころからは、我が家に連れて来ては、懐メロを次から次へと流して歌っていました。カラオケのおかげで、多少は認知症の進行が遅らせられたのではないかと思います。

そのレパートリーの中でも、特に十八番だったのが「岸壁の母」です。二葉百合子さんの歌とセリフが入っている曲を良く流したものです。

♬港の名前は舞鶴なのに、なぜ(息子は)飛んできてくれんのじゃ!♬ という涙ながらのセリフは、私だけでなく家族みんなの耳にタコができるほどよく聞いた一節です。

自分も若いころから懐メロ番組でもよく聞いたので、ああ、日本人は皆この曲が好きだなあと何気なく思っていました。でも、自分の息子たちが成人に近くなった頃からは、歌詞の内容にぐっとくることが増えてきました。

もし戦争が起こって、息子たちが戦争に行ってしまい、息子たちの帰りを待つ身になったとしたらと、つい考えてしまうのです。

先日、日本海側周辺を旅行してきました。夫が舞鶴に行ってみようというので、それならばきっとシベリア抑留から引き揚げてきた人たちの資料館などがあるだろうと思い、調べてみると「舞鶴引揚記念館」という所がありました。

行ってみると、内部は最近改装されたばかりで意外にも新しく資料が見やすく整備されていました。資料を見ているとボランティアの方がいろいろと説明してくれました。

自分は、戦地で終戦を迎えた日本兵たちだけが、シベリア抑留に巻き込まれたのだと思っていました。けれども、満州に移り住んでいた数十万人の人々も、終戦と同時に日本に引き上げる途中で、男性だけがシベリアに連れていかれて、数年にわたって強制労働させれたらしいのです。

「日本で一番引揚者が多かったのは何処の県か知っていますか。」とボランティアの方に聞かれましたが全然わかりません。1920年代に世界恐慌が起こり、絹の値段も暴落しました。それで、絹の一大産地だった長野県の養蚕農家の二男坊、三男坊は食っていけなくなり、大勢が満州に仕事を求めて移住していたから長野県が多いのだそうです。

そうだったのかという話ばかりの資料館ですが、ラーゲリ(ロシア語でいう強制収容所)の一部屋が実物大で作られた一室などに入ってみると、冬は零下40度にもなるシベリアで、本当に悲惨な暮らしをしていたことが分かります。現代人ならば一晩も持たず、命を落としてしまうでしょう。

そして、岸壁の母の歌のモデルとなった方の資料も見ることができました。毎日欠かさずラジオを聞いて舞鶴に引揚船がやってくるという情報をつかみ、毎回はるばる舞鶴までやって来て、船から降りてくる引揚者の中に自分の息子がいるのではないかと祈るような気持ちで待ったのだそうです。

やがて息子さんの戦地での死亡通知が届いても、それでも毎回舞鶴にやってみえたのです。その数二十数回にわたったそうで、母が子を想う強さがしみじみ感じられます。

この資料で一番目を引いたのは、12月に封切りされる映画「ラーゲリより愛を込めて」のポスターです。二宮和也さん主演で、満州に住んでいた一家が離散し、シベリアに抑留された夫を日本に帰り着いた妻が待ち続けるお話のようで、映画のシーンなどもいくつか資料として展示されていました。

ここを訪れたのはタイムリーでした、封切りされたらぜひ見に行ってみたいと思います。

舞鶴は、旧海軍のレンガ造りの巨大な倉庫がたくさんあり、リノベーションされて4号館までがイベントや資料館、公園として公開されています。ここは観光客もたくさんいて賑わっていて、皆楽しそうに買い物したり写真を撮ったりしています。

私はこのレンガ倉庫公園の直ぐ近くに引揚記念館があると思っていましたが、6キロも離れていて、車で行くか船に乗って文字通り岸壁に付けられて訪れるかしないと行けません。ネットなどで調べても、引揚記念館についてはアピールが地味であまり目立たないので、観光に来た人でも、その存在に気づかずにいる人が多いでしょう。

そもそも、引揚という言葉自体を知らない世代がかなり多くなっていると思います。ユーチューバーの岡田斗司夫さんという方が言ってみえましたが、「戦後70年以上の間日本は、あまりにもあの悲惨な戦争を決して忘れてはならない。と言い続け過ぎて、逆効果が出てきてしまっている。人が忘れない、忘れたくないという事柄は、人が面白がり、興味を持ったことにしか記憶が残っていかない。ふざけるのではなく、面白がらせるという事が大切。」と主張していました。「戦争を面白がるとはけしからん。」「苦しんだ人の気持ちを踏みにじる行為。」と感じる人は多いと思いますが、戦争を経験しない世代(もう8割以上の日本人が該当するでしょう)が興味を持ち続けるためには、新たな形で戦争への考え方のアプローチが必要なのかもしれません。

91歳で亡くなった母も、戦中戦後の話をよく聞かせてくれましたが、その時代を生きて語る人もいなくなっていく時代です。いやがおうでも戦争に巻き込まれざるを得なかった人々の辛さと、現代の人々の興味を重ね合わせる工夫はアニメや映画だけでなく、その他いろいろなメディアでどんなことができるのか考えようとする。そんな気持ちを、自分も心のどこかにもって投げかけ続けられるといいなと思っています。

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