杉本博司氏は写真家として著名ですが、様々な形で芸術作品を手掛けるとともに数十年にわたり古物を収集してみえた方です。
江之浦測候所には杉本氏の収集してきたものを、氏なりの理念に基づいて展示・再現してあります。敷地内の建築は「我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する」ようにつくられました。(以後「 」内の文は施設説明冊子からの抜粋)
また、平安末期の橘俊綱による「作庭記」に「石をたてん事、まづ大旨をこころふべき也」とあるところを、氏は「この石の垂直性を改め、石を伏せん事の大旨を探求することとした」作庭をされました。
この施設がある柑橘山全体には、ただならぬ緊張感が隅々まで感じられるのですが、上記の二点を追求した結果が表出しているのでしょう。
柑橘山の中には四つの細長い通路が作られています。そのうちの一つ「冬至光遥拝随道」は、上部建築「夏至光遥拝100メートルギャラリー」に交わる所に位置しており、その下部に作られた隧道(トンネル)です。
人一人がようやく通れるほどの広さの、4枚の鉄板で囲った70メートルに及ぶ隧道を、冬至の早朝相模湾から登った朝日が貫いて、対面した巨石を照らします。一年に数分間だけのその様を見られる人はそう多くはないでしょう。けれど、その瞬間が江之浦測候所を訪れた人に配られる冊子の表紙になっているので、その神々しい光を想像することができます。
この隧道について冊子では「この特別な一日は、巡り来る死と再生の節目として世界各地の古代文明で祀られてきた。日が昇り季節が巡り来ることを意識化し得たことが、人類が意識を持ち得たきっかけとなった。この『人の最も古い記憶』を現代人の脳裏によみがえらせる為に」つくられたものだと解説されています。
これら4つの通路や舞台、円形劇場なども皆、冬至・夏至・春分・秋分の日それぞれの陽光を通す道となり、それらを見つめる現代人たちの場として造られているのです。
人類が農耕を始めるようになってからは、太陽の恵みによって巡り来る季節や自然の営みのリズムをつかむことは特別重要なことだったでしょう。
狩猟採集生活を送っていた数百万年の間、太陽は人類にとってありがたい存在ではあったでしょうが、農耕民族ほど特別な意味を持つものではなかったでしょう。それが、ほんの一万数千年前くらい前から始まった農耕生活によって、文明や文化に繋がる意識が生まれ、同じ脳の構造を持つ人類の生き方が一変してしまったという事は凄いことだなあと感じます。
富も身分も持てないほとんどの人類にとっての農耕生活は、土地に縛り付けられた拷問のような生涯を強いられる時代の始まりだったともいえるのでしょうが、一旦生まれてしまった「意識」が、再び縛られるもののない狩猟採集生活には絶対に戻そうとはしなかったのかもしれません。
この江之浦測候所を訪れた自分の脳は、狩猟採集生活を送っていた頃の脳とほとんど変わっていません、その脳と「意識」は自分の中でどの様に関わっていけばいいのだろうと、多少混乱した頭の中で考えています。