手抜き生活

天目青磁 ~内祝い話:その2~

学生時代に、大学の同級生Aさんのおばあちゃんがお茶の先生だということで、友達Bさんと一緒に習いに行きました。先生はとても穏やかな方で、玄関に大きな教室の看板を出しているわけではなく、格式に囚われずお茶を楽しんでくれればそれでよいという方針でした。茶道というといろいろと堅苦しくて面倒なことが多いかもしれないと聞いていたのですが、週に一度おいしいお饅頭とお茶をいただきに行くだけでいいという感じで、気楽に始めることができました。

Bさんは就職とともに教室を辞めましたが、私はそのまま続け、浪人時代の友達Cさんを誘い一緒に習いました。まもなく私も就職して教室を辞めました。数年後、出産して育児休暇が1年間とれたので、自分は期間限定ということで、ずっと続けていたCさんとまた一緒に習いました。

1年はあっという間に過ぎ、また茶道とは無縁の世界にもどったのですが、しばらくすると先生の訃報をCさんから聞き、さみしい思いとともにお茶の世界から更に遠ざかって26年が経ちました。

3年前私が勤めを辞めたのを機に、浪人仲間のCさんとDさんと会食をしたとき、私が教室を辞めた後もずっとCさんは教室に通っていることを知りました。当時からおばあちゃん先生のところにお嫁に来ていて、教室の跡を継いだのがE先生で、ずっとE先生に稽古をつけてもらっているそうです。その時初めて浪人友達のDさんも、一時期Cさんとお茶を習いに行っていたことを知りました。友達の輪がこんな風につながっているとは知らずびっくりしました。

そして、そのよく年の6月から再びお茶の教室に通い始めた私は、お茶室に入るとまたびっくりすることがありました。26年前一時的にお茶の教室に復活した時、先生に娘誕生の内祝いとしてお渡しした天目青磁の茶碗が使われていたのです。それも、26年間毎年6月のお稽古には必ずこのお茶碗を使い続けて、毎年私のことを思い出してくださっていたそうです。お茶碗は大切に使われていて、一つの欠けもありません。私は、お茶の心が利休さんの頃から失われず、数百年もずっと受け継がれてきたのは、お茶やその道具を愛する人たちの心がそうさせてきたのだなと感動しました。

しばらくぶりにお茶を始めた私は、袱紗捌き(ふくささばき)さえ忘れていました。「覚えようとしなくてもいいんですよ。楽しんでやっているうちに体がすこしずつ覚えていきますから、慌てないで。」とE先生はおばあちゃんの先生そのままの教えで迎え入れてくださいました。

古巣にかえってきたような安心感とともにお稽古を始めましたが、1年も経たないうちにコロナが心配されるようになり、教室もお休みとなりました。お休みの間に、26年前に内祝いをした娘が孫を出産しました。そして、同じように内祝いの茶碗を作りました。今は、お稽古が再開されたら、孫の内祝いの茶碗とともに教室を訪ねる日が来ることを心待ちにする日々です。

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