きもので手抜き生活

十二単

先日名古屋城の隣にある能楽堂で、十二単の着付け講演会があるというので、観に行ってきました。

最初は白い着物に赤い袴で登場した女性が、一枚ずついろいろな色の上着を重ねて着させられていく様を説明を聞きながら見ていくのです。朱に近い赤の袴は既婚女性、濃い赤の袴は未婚女性が着るのだそうです。

十二単は「じゅうにひとえ」と読みますが、正式名称をネットで調べると公家女房唐衣裳装束姿(くげにょうぼうからぎぬもしょうぞくすがた)」です。でも、解説の方は五衣(いつつぎぬ)と言ってみえたような気がします。 

今回の十二単は、全部で約16キログラムもあるそうです。十二枚も着物を重ねていたのかという疑問もわきますが、身分の高い女性が競い合って重ねていた時は、二十枚もの着物を重ねた人がいて、動けなくなってしまったそうです。その後、華美になりすぎることを懸念して、室町時代ごろに五枚までに制限が作られたという事ですが、それが五衣の語源かもしれません。

十二単はかなり身分の高い女性のみが許される衣装だったので、ひょっとしたら皇族の方々は、江戸時代頃まで着用してみえたのだろうかと疑問に思います。いろいろ調べてはみましたが、歴史学者、着付けやその教育を生業とする業者、それぞれの説があってよく分かりません。

ひな人形のように座った状態が本当なのですが、今回は着付けを見せることが主眼なので、着つけられた方が座ることはありませんでした。一度座ってしまうと、もう立ち上がれなくなってしまうからです。

それでは、平安時代の姫君たちは、どのように移動したのだろうかという事が気になります。

この講演会の後半は、衣装について研究してみえる大学の先生が、「源氏物語」内のエピソードなどを実際の衣装を見せながら解説される内容でした。光源氏が和歌を送っても、なかなか心を寄せてもらえない女性のところを訪れたところ、その女性は衣擦れ(きぬずれ)の音で源氏が来たことに気づいてしまい、素早く逃げてしまった。その後には、香のかおりと衣だけが残されていたというくだりです。

衣だけとはどういうことか、現代のわれわれにはさっぱりイメージがつかめません。でも、実際に十二単を着付け終わった方から、二人がかりで十二単をひとまとめにして引き抜く様子を見せてもらいました。現代の着物の様に帯で締めていないので、するりと丸ごと脱ぐことができるのです。そして、まとまった衣装は厚みがあるので、まるで中に人が入っていてそこに座っているかのように、立たせておくことができるのです。

十二単を着る人は身分が高いので、常に几帳や御簾(みす)の向こうに座っていて、ぼんやりとして姿がよくわかりません。話しかけても反応がないので、光源氏はしびれをきらして強引に御簾をめくると着物だけだったという事になるのも合点がいきます。

話が飛びますが、「和宮様御留」という小説を読んだことがあります。これは皇女和宮が京から江戸の徳川家に嫁ぐ話です。けれども、この小説はフィクションなので、和宮本人ではなく、ある少女を身代わりに立てて、皇女としてのふるまいを女官たちが教育するという場面があります。

少女には、重くて窮屈な着物を着なければいけないとか、じっと動かず声を出してはいけないとか、様々な規制をかけられます。とりわけ真夏でも、真っ白に塗ったおしろいが汗で流れてはいけないので、ほとんど水分を取ることが許されず拷問のような日々が続きます。

しまいにその少女は、貧しくボロを纏っていた以前の自分に戻って、自由に走り回り、祇園祭を楽しむ夢を見ながら気が狂ってしまうのです。

昔の姫君たちは、大変な環境の中で生きていたのだなあと気の毒に思ったものです。もっとも、現代のプリンセスたちも、ゴシップのネタにされたり、ネットで行動を批判されたりしているので、似たような状況なのかもしれません。

この講演会では、十二単以外の様々な衣装の着付けなども実演されました。源義経が愛した巴御前が着ていた白拍子の衣装もあり、ほんの少しですが白拍子の舞も披露されたことも興味深いものでした。

着付け教室の先生からのお誘いで参加した講演会だったので、皆それぞれ着物を着て参加できたことも、何より楽しいことでした。

 

 

 

 

 

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