手抜き生活

冬ちゃんの結婚

父は9人兄弟でした。昔は成人できる子どもの割合が低かったので、祖母はもっと多くの子どもを授かったのかもしれませんが、私の知る限りでは9人です。

父は男の中では三男坊で4番目の子で、その下に5人の妹がいました。これだけ兄弟がいると、祖母も一番末の冬ちゃんを生んだときは結構な高齢出産だったと思います。冬ちゃんの学校の授業参観の時など「おばあさんがきたの?」と言われるのが嫌で、隣の長屋に住んでいた兄夫婦の嫁、つまり私の母に参観してもらっていたそうです。

冬ちゃんが中学生のとき祖母が亡くなりました。突然だったこともあり、冬ちゃんのショックは半端なく、その後母の代わりのように世話をしたそうです。そして末っ子だった冬ちゃんは、私を妹のようにかわいがってくれました。

冬ちゃんが高校を卒業して就職してからは、私をブドウ狩りに連れてくれていったり、田舎では手に入らないような本を買ってきてくれたりしました。特に衝撃だったのは、生クリームのショートケーキを買ってきてくれて、初めて食べたときのその美味しさです。世の中にこんなにおいしいものがあるのかと感動しました。当時の自分の町にはケーキ店などなく、パン屋のウィンドウに腐りにくいバターケーキがおいてあるくらいでした。

やがて冬ちゃんは数年務めてためたお金で、ワーキングホリデーという制度を利用して海外で働きながら住む1年間のオーストラリア旅行に出かけました。飛行機は高いので1,2か月かけて旅客船で行き、また1年後に船で帰ってくるのです。

当時のエアーメールは、赤と青のシマシマの縁取りがついた封筒で、少しでも軽くするために、封筒の裏側が内容を書く便せんになっていました。内側の文字が切れないように注意深く封を切るときのときめきは、今までに感じたことがないようなものでした。海外などは遥か彼方の別世界のように感じていた自分に、オーストラリアから届いた手紙は自分の世界を大きく広げてくれました。

ある日、長屋の隣に住んでいたおじいちゃんが「大変なことになった。」とエアメールを握りしめて家に飛び込んできました。エアメールに一枚の写真が同封されていて、そこに写っていたのはウェディングドレスを着た冬ちゃんでした。隣の男の人は見たことのない人です。

手紙には、ワーキングホリデーで知り合った日本人男性と結婚しましたと書いてありました。帰りの船の中で偶然ウェディングドレスを持っている新婚さんがいて、貸してもらったのだそうです。船よりも一足早くついたエアメールが届いた後、冬ちゃんたちは間もなく帰国しました。

こんなにドラマチックな結婚をしたので、結婚相手の房雄さんは強引な人なのかなと思ったら、とても温厚で優しい人でした。二人は1年間ほど長屋に住んだ後、房雄さんがオーストラリアで身に着けた英語力を生かしたいと言って、上京し貿易会社に就職しました。

上京した後も、東京旅行に連れて行ってくれ、当時日本中の話題となった上野動物園のパンダ・カンカン・ランランを見に行ったり、できたばかりのサンシャイン池袋の水族館に行ったりしました。私の大学受験のときは、東京での宿を提供してくれてずっと世話になりました。

自分が大人になり、都会へのあこがれを抱いたり、海外旅行に行きたくなったりしたのは、この冬ちゃんの影響が幼いころの自分に感じさせてくれたキラキラした思い出が元になっているのかもしれません。

 

 

 

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