手抜き生活

介護レベル5

先日実家の母が91年間の生涯を静かに閉じました。それまでの約8年間、要介護2レベルを維持しつつ、足腰が弱ってきてはいましたが、トイレなどはなんとか自分で行くことがでました。それで、家族皆でが支えながら自宅から週3回のデイサービスに通ったり、月2回の宿泊を伴うステイサービスを受けていました。

けれども4が月前突然歩けなくなり、入院しました。原因は膀胱炎の熱によるもので、間もなく抗生剤投与により炎症は収まりました。けれども、2週間の寝たきりの入院生活によって再び歩けるようにならず、一気に要介護5レベルになってしまいました。

母が歩けなくなる直前から、私は娘の出産に関わる介護などいろいろトラブルが重なり、2か月間自宅に戻りませんでした。母の容体を孫である私の息子にいろいろ頼んでありましたが、今までもずっと祖母の世話をしてきた息子から見ても、もう歩けるようになりそうにないということでした。

息子自身も、コロナ過での入院患者はアイパットの画面を通じてしか面会が許されませんでした。直接会っていた時でさえ、話しかけても意思疎通が大分難しくなってきていたので、画面越しに孫の呼びかけが通じるはずもありません。画面の向こうには、何の反応もしない母の顔が横たわっているだけでした。

この二か月目に自分が家に戻った時点で、実家を継いでいる妹は、仕事があるのでとても介護はできません。5年前に仕事をやめていた自分なら、介護ができないこともありません。母を退院させ自分が引き取ろうか随分迷いましたが、この先何年介護が続くのかは誰にもわかりません。結局、孫の世話や息子の新居の準備など、新たな世代のための時間を優先しようと決めました。

その後、二か月の入院限界となり、別の病院に転院しました。回復の見込みのない患者は、本人や家族が望む限り点滴による栄養補給はしてもらえますが、二か月ごとに病院を変わらねばならないきまりなのです。転院先の病院で一度、主治医の先生とケアマネージャーを含めて今後のケアの方針を話し合いました。妹の意向も含めて、この後は病院ではなく、特別養護老人ホームへの移動を希望していこうと決めました。この決定は、病院を出て、老人ホームに入った時点で、点滴などの医療行為を排除することを意味します。だから、老人ホームで口からの摂食行動が弱まり、体力が落ちていってもその状況を受け入れるという事です。

話し合い後、2週間ほどで老人ホームの空きが出たという連絡が入り、施設へ移動していきました。幸いなことに、以前から利用していたステイ先「ゆいの家」へ入ることができました。この日から母は、終の棲家としてこの施設の住人になりました。

施設の玄関を入ると、以前から母の面倒を見てくれて見知っていたスタッフの方々が母に話しかけてくれました。「まさ子さん、久しぶりだね。」「痩せちゃったね、ごはんたくさん食べようね。」などの呼びかけを聞いて、母も何となく反応していました。

病院では、申し分のないケアを受けていましたが、名前で呼びかけてくれたり、親しみのある言葉がけは、正に家に帰ってきたという気持ちにさせてくれました。こちらを選択して本当によかったなと思いました。

 

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