手抜き生活

祝卒寿・祝卒業

実家の母は1月26日で満90歳になりました。90歳は卒寿という祝い歳だそうです。ここ数年で認知症がかなり進み、足元もおぼつかなくなってきていましたが、食欲もあり自分でトイレにも行けるので、家で妹が世話をしながらデイサービスに週3回、宿泊ステイに月2,3回行くだけでなんとかなっています。

実家には、孫がいつ来ても何人でも泊まって行けるように広い布団部屋が準備してありました。8、9年くらい前までは、我が家の子たちも、数人の友達を連れて泊りがけでよく遊びに行きました。そういうときは、おばあちゃんが手間暇かけた特製のカレーライスをふるまってあげることもできましたが、それもできなくなり寂しくなることもあります。それでもここまでよく長生きしてくれたと思い、感謝の気持ちを込めて90歳のバースデーケーキで祝うことにしました。

誕生日よりちょっと早めのお正月なら、みんなで祝うことができると思い、二男の1月16日の誕生日と大学卒業祝い(見込みですが)を兼ねて、年末にWケーキを注文しにケーキ店に行きました。平日の昼に行ったので比較的空いていましたが、蜜を避けるため店内には3組の客しか入れないので、店の外に並ぶ客用のロープが張ってあり、休日の混み様はすごいんだろうなと思いました。

一月一日にケーキ受け取りと聞いて、お店の方に「お正月がお誕生日なんですか?」と驚かれましたが「もう90歳なのでいつ何が起きるかわからないから、みんなが集まる正月に早めにやっておくんです。」と冗談めかして笑って答えました。でも、この後で現実味を帯びる事件が起きるので、後で反省しました。

大晦日は、実家に集まってすき焼きを食べながら紅白歌合戦を見るのが恒例となっています。2020の暮れも夕方からぞろぞろと集まりましたが、この年越しは紅白歌合戦とは別に、妹が大好きな「嵐」のラストライブがwebで行われているので、あっちを見たりこっちを見たりしていました。そしてこれも恒例の年が明けてからの氏神様への初詣では、寒波が訪れているうえに、人がいっぱいなのでやめようかと相談していました。厄年の方がふるまってくれるおでんやぜんざいが楽しみでしたが…。

そして、なぜかこの日急に階段の電球が切れてしまいました。周囲が壁に囲まれた階段なので、かなり足元が暗くなっています。娘夫婦は毎年この家に泊まって年越しをするので、二階の寝室に行くときは気を付けてねと声を掛けていました。二階に誰かが行こうとするたびに声を掛けていたのですが、何度も声掛けしているうちに慣れてしまいました。紅白歌合戦を見終わって母も二階に登っていきました。ふと電気が気になりましたが、毎日上り下りしている階段なので大丈夫だろうと思い、テレビから除夜の鐘の音が鳴るのを聞きながら「もう新しい年があけるなあ」と思っていました。すると、突然壁の裏からダダダダダダダダ...と母が階段から落ちる音が聞こえてきました。「しまった!!」という思いとともに「音が長い!かなり上から落ちた!これはかなりやばい!」と考えながら階段の踊り場に跳んでいくと、母がうなりがら横たわっていました。

頭をぶっていたり、骨折したりしているかもしれないので救急隊の方がみえるまで下手に動かせません。息子が機転を利かせてこたつ布団を母に被せてくれました。母にどこが痛いのかと声を掛けると、頭とか肩とか足とかいろいろな部位を言います。答えられる分まだましかもしれないと思いながら、何とか無事であることを祈りながら救急車に運ばれていくのを見守りました。

同行した妹から連絡があったのは午前3時過ぎでした。CTで脳の出血がないか、レントゲンで骨折がないか調べたところ、頭にこぶと全身に打撲だけなので、歩いて帰れるから迎えに来てほしいということでした。私自身もすごい興奮状態で、あの階段から落ちてくる長い音が何度も頭をよぎり、不安と後悔を繰り返していたので、まずは一安心です。そして、あんな落ち方をして無事でいられることが信じられませんでした。なんという丈夫さだろうか、自分だと、とっさにどこかにつかまろうとかして変な力が加わり、大けがをしただろうけれど、母は、柔道の受け身のように力を受け流しながら落ちたのでしょうか。不死身です。

翌日もうできないかもと思っていた誕生会をすることができました。90のロウソクに火を灯してハッピーバースデーの歌をみんなで歌い、明るい気分でケーキを頂きました。新年が明けたことと、母が無事だったことを心から嬉しく思いながら食べたケーキは忘れられないでしょう。その後1週間くらいは体を動かすたびに痛い痛いと言っていた母ですが、そのうちに階段から落ちたことも忘れたようです。

当然ですが、階段はもう恐ろしくて使わせることはできません。母は時々二階に上がっていこうとするので、分かりにくいところにロックを取り付けました。数年前父が倒れたときに一階に運び込んだベッドが、ダイニングルームに置いたままだったので、母の布団を敷いて使っています。

そして、1月26日に本当の誕生日がやってきたので、今度はお赤飯を炊き、ケーキに使った90のロウソクを再び立ててもう一度お祝いをしました。母の周囲では様態に合わせて少しずつ生活様式が変わっていきます。だんだんと手がかかることが増えそうですが、それでも長生きしてほしいと思います。

 

 

 

 

\クリックして応援してね!/
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ